山陽路点描 (4)  岡山後楽園 イバイチの
旅のつれづれ


5.岡山後楽園

 翌朝、倉敷からJRで岡山に出て、駅からバスに乗り後楽園に行く。広島でも倉敷、岡山でも駅前のバス停の所には案内係の女性がいて、行く先を言うと「何番乗り場の何処其処行きのバスに乗って下さい」と教えてくれるので有難かった。
 後楽園前でバスを降り、荷物を近くの売店に預かって貰う。公園入り口には「みどりのリズム」という少女二人の像が置かれていた。入園料はシニアで140円である。今年(H23年)9月から大人350円から400円に、65才以上無料から140円に値上げされていた。因みに金沢兼六園は大人300円、65才以上無料、水戸偕楽園は好文亭を除きすべて無料である。

 敷地面積は3園共3万から4万坪だったが水戸偕楽園は1999年(平成11年)に近隣の千波公園と合併して偕楽園公園となり、面積10万坪でニューヨークのセントラルパークに次ぐ世界第2の面積の都市公園になった。

 それは別として岡山後楽園は市内を流れる旭川の中州を利用して藩主の池田綱政が造らせた庭園で、十数年の歳月を費やし1700年(元禄13年)に完成した。岡山城の背後(東側)にあることから御後園と呼ばれ現在も月見橋によって結ばれている。明治になって岡山県の所有物になり、「先憂後楽」の言葉から後楽園と名付けられ「日本3名園」の一つとして挙げられる様になったのである。(写真は後楽園の説明板)

 正門から向かって左手にある園路を行くと広々とした芝生に出る。その先には4つの島を持つ沢の池という名の園内最大の池が見渡せる。芝生の手前には「延養亭」いう名の藩主が訪れた時の居間があり、園内外の景観を一望できる場所であるが現在は公開されていない。園内には散策路が幾つもあって自由に廻れる様になっている。(写真は延養亭と園路)

 園の中央部には唯心山と呼ばれる小高い丘があり、全体を見渡せるようになっている。案内マップが反時計回りに番号が振ってあるのでその道筋に沿って歩く。しばらく歩くと蘇鉄がたくさん植えてある場所があり、道順は八つ橋を通って唯心山に行くようになっている。山に上がらずに右手に曲がると流点という建物の中に水路がある珍しい場所に出る。休憩所になっていて足湯と反対に夏には靴を脱いで足を浸すと気持ちが良いだろうと思えた。

 園の最奥部には梅林、桜林があり、更に沢の池方向に向かって紅葉の林、茶畑と続く。沢の池畔の売店では岡山名物桃太郎のきび団子などを売っていた。沢の池を右手に見ながら唯心山に上がる。高さは6メートルだそうだが、平地の公園なので遠くまで見渡せる。つつじが多く植えられていて花の咲くころは見物客が多くなるそうである。(写真は唯心山とそこから眺めた沢の池方面)

 雨が降ったり止んだりする中を、沢の池東岸に行くと池や林越しに、遥かに岡山城が望める。眼下の池には錦鯉がたくさん泳いでおり、雨中の散策もなかなか趣きがある。


 次に岡山城に向かう。いったん後楽園を出て月見橋を通り、廊下門から城内に入る。この城は宇喜多秀家が1597年(慶長2年)に5層6階の天守を築いた。黒い外観から烏城とも呼ばれていた。戦前は国宝に指定されていたが、昭和20年の空襲により焼失し、昭和41年に豪壮な天守閣が復元されている。(写真は月見橋からと正面左手からの岡山城)

 後楽園前のバス停付近にあるみやげ物屋に戻る。荷物の預け賃替りに地ビールを飲む。バス停近くに竹下夢二の 「待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ こよひは月も出ぬそうな」 の詩碑があった。夢二は岡山出身で、後楽園の近くに夢二郷土美術館があるが、今回は時間の都合で立ち寄れなかった。


(以下次号)

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