　平成２４年７月１４日の朝日新聞｢ｂｅ｣欄に「人生を変えた本と出会いましたか」という読者からのアンケートをまとめた記事があった。アンケートに答えた人の４２％が「はい」と答え、「いつ読んだ？」は１０代以下が４４％、２０代が２５％という結果だった。

　書名が度々上ったのは、夏目漱石『こころ』、太宰治『人間失格』、三浦綾子『氷点』、マーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』などだそうである。どれも昔読んだ本で心には残ったが、人生観が変わるところまでは行かなかった。

　小生も読書は好きで７９才になる今でも年間５０冊から７０冊近くの本を読む。主に図書館を利用するのだが、図書館の本は２週間の期限があり、１０冊まで借りられるが、そんなに読めるわけもなく、１回で２～３冊づつ借りている。

今年（平成２４年）読んで印象に残った本は、高樹のぶ子著「マルセル」、池井戸潤著「下町ロケット」、村上春樹著「１Ｑ８４（book１～3）」、三浦しをん著「舟を編む」などだった。

　ところで小生が「人生を変えた本」に出会ったのは１９才から２０才の頃である。この頃（昭和２７～２８年）は文学全集の発行ブームで、多くの出版社が競い合って多くの全集を出していたと思う。丁度「人は何のために生きるか」とか「人生の目的は何か」などと悩む年頃だったので、人生の指針になるような本をむさぼるようにして読んでいた。

　今でも思い出すのは海外ではデュ・ガール著「チボー家の人々」、ロマン・ローラン著「ジャン・クリストフ」、ヘルマン・ヘッセ著「車輪の下」「デミアン」、チャールズ・ディケンス著「ディヴィッド・コッパフィールド」。

　日本では夏目漱石著「三四郎」「こころ」「道草」などであるが、その中でもサマセット・モーム著の「人間の絆」がその後の人生の拠り所になったと思っている。

　しかし、なにぶんにも６０年前に読んだ本であり、内容もおぼろげになっていたので、もう一度読み返そうと新潮文庫に当時と同じ中野好夫氏訳の上下巻のものがあったので、それを購入して読むことにした。

アマゾンから取り寄せると上下巻合わせて１,３４０ページの大作で、読み終わるのに１ヶ月半掛かった。最近は長くても１週間程度で読了出来る本ばかり読んでいたので、昔とは読むスピードが違っているか軽い本ばかり読んでいるのだろうかと気になった。（写真は新潮文庫版上下巻）

　「人間の絆」のあらすじは上下巻の裏カバーにあるものを転載すると、

　「幼くして両親を失い、牧師である叔父に育てられたフィリップは、不自由な足のために、常に劣等感にさいなまれて育つ。いつか信仰心も失い、聖職者への道を棄てた彼は、芸術に魅了され絵を学びにパリに渡る。
　しかし、若き芸術家仲間との交流の中で、己の才能の限界を知った時、彼の自信は再び崩れ去り、やむなくイギリスに戻り、医学を志すことに。誠実な魂の遍歴を描く自伝的長編。」（上巻）。

　「医学を志すフィリップの前に現れた美しくも傲慢な女ミルドレッド。冷たい仕打ちにあいながらも、彼の魂はいつか彼女の虜となっていく。ミルドレッドは別な男に気を移し、彼のもとを去って行くが、男に捨てられて戻ってきた彼女を、フィリップは拒絶することができない。
　折からの戦争に、株の投機で全財産を失い、食べるものにも事欠くことに------。モーム文学を代表する大長編小説。」（下巻）。

　ということであるが、その裏にあるのは「人生とは何のためにあるのか」を繰り返し考えることでもあった。そしてその長いストーリーの結果、フィリップが得られたものは、「人生には意味など無い」というものだったのである。

　そしてパリの遊学の時に飲んだくれの詩人からペルシャ絨毯の切れ端を貰ったのだが、それは美しいペルシャ絨毯を織りなす者は、ただそれを美しく織り出したことに満足すればそれだけで良い。人生とは畢竟（ひっきょう）そのようなものなのだとの寓意（たとえ）であることに気付かされたのである。

　人は幸せな人生を願うが、それは永遠なものではない。不幸せと思うことも多くあるがそれだけが全てということでもない。喜び、悲しみ。希望と絶望。それが綾なす生き様は人によっていろいろあろうが、そのような月日を送り死に至ることが人生で、それ以上でもそれ以下でも無いなのだと言っているのだ。

　今回「人間の絆」を読み返した時、６０年前に思ったことがまざまざと思い出された。それは、人間は死ぬ時に自分の過ごした人生の出来事が走馬燈のように一瞬の間に思い出される。その時、自分の一生はあたかもペルシャ絨毯の様に素晴らしく織りなされていたと思えればそれでいいのだということである。

　そしてその頃、それを敷衍（ふえん＝押し広げ）して、今すぐに死ぬとしても自分の一生は悔いが無かったと思えるような日々を送りたいと思うようになった。その後しばらくの間は夜眠る時、今日一日素晴らしい日だったか？納得できる一日だったか？を自問するのが日課になっていた。

　今でも基本的にその考えは変わらない。何かを決めたり、行動を起こす時、人の意見に左右されることなく、自分が納得できるようにやりたいと考える。勿論その時には周りの人の考えや相手の立場を充分に知り、配慮することは言うまでも無い事であるが-----。

　とにかくいつまでも過去の出来事にくよくよするのは止めて、明日のことを考えたい。心配ごとのために眠れぬ夜を過ごすこともしょっちゅうあるが、過ぎてしまった事は既に自分の人生の絨毯に織り込まれてしまっており、いまさら変えることは出来ない。

　それよりも今日を、そして明日をどのように生きるかを考え、実践することによって自分の人生模様がより豊かに織りなされるのだということを信じて毎日を送りたいと思う。