「火定(かじょう)」を読んで
 

2018年 3月 16日 (金)
火 定(かじょう)    澤田 瞳子著   2017年11月発売

 澤田瞳子の本は平成26年から読み始め、今回の「火定(かじょう)」で10冊目である。平成27年に「若冲」についての読後感を記したが、この本は今回と同じく直木賞候補になった。今回の「火定(かじょう)」は平成29年(2017)後半の直木賞に2回目の候補になった作品である。朝日新聞の書評欄に載っていたので図書館に予約したが、読めるまで3か月待った。

 この作者は奈良時代を背景にした作品が多いが、この作品もその一つである。奈良時代の初期、民を救うために施薬院(無料の病院)と悲田院(孤児の養育施設)が設置されたが、施薬院で働く蜂田名代(はちだのなしろ)と宮廷の侍医を務め、皇族を診察する地位にあったが同僚の策謀で牢獄に入れられた猪名部諸男(いなべもろお)の二人の視点からストーリーが進んでいく。

 そんな時、遣新羅使が持ち込んだ裳瘡(もがさ=天然痘)が猛威を振り始める。当時は治療法がなかったため多くの庶民が死に、夏の熱気で腐敗する死体の山があふれる状態になった。施薬院で働く蜂田名代は増え続ける天然痘患者に疲れ果て不満を募らせる。
 
  一方猪名部諸男は無実の罪で獄舎につながれたが、飢饉を鎮めるべき恩赦で出獄できることになった。行く当てもない諸男は獄中で知り合った詐欺師の宇須が始めた常世常虫(とこよのとこむし)という禁厭(まじない)札を作り売り歩く仲間に入る。天然痘が猖獗すると共に、まじない札も飛ぶように売れるが病魔は一向に収まらない。

 その状況に対し何の手も打てない政治に不満を抱いた庶民に対し、病魔は新羅から持込まれたという宇須の扇動により、その怒りを新羅人に向け、外国人であれば襲う暴動が発生する。このことはヘイトスピーチが多い現在の日本でも、きっかけさえあれば同じようなことが起きるかもしれないと思わせる。

 暴動から一夜明けて施薬院には多くの怪我人が担ぎ込まれた。施薬院の医師の網手が嘆息して天然痘に効く薬があれば人心も少しは落ち着くのではと言った言葉に反応した名代は、新羅ではどのような薬を用いていたのかと考え、遣新羅使の副使などの助力により藤原房前の書庫を探し、以前ここで働いていた猪名部諸男が読んだ天然痘の治療法を書いた書を探し出す。

 名代が見つけ出した書によって施薬院の天然痘患者の生存率は大幅に増えた。名代は悲田院で死んだ子供たちの遺骸を入れた叺を荷車に乗せて秋篠川の岸辺に埋めようとした時、独りで、打ち捨てられた死体を葬る猪名部諸男に逢い、憎しみや葛藤を乗り越えて施薬院の治療法を世に広めようと多くの人と協力する終盤は、深い感動を読者に与えてくれる。




(この項おわり)



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