伊嶋 和一 の「星夜航行 上・下」を読んで
 

2018年10月 5日 (金)
 星夜航行 上・下   飯嶋 和一   2018年6月発売 

  「星夜航行」は上・下巻に分かれ、上巻は533ページ、下巻は572ページあり、合計1,100ページの大作である。

 話は徳川家康の長男、信康の小姓として仕えた主人公の沢瀬甚五郎が、家康によって主君の信康が切腹させられ、自分の身も危うくなって出奔する。
 
 数年の後、剃髪して僧侶姿になっていた甚五郎は縁あって菜屋助左衛門(呂宋=ルソン助左衛門)と知り合い、船に乗って琉球、台湾、マニラなどに向かう海の商人となって、薩摩の山川に住み、国際感覚を身に着けていく。

 その間、日本では織田信長が斃れ、秀吉が天下を統一する。秀吉は明国征服の野望を持ち、朝鮮に攻め入った。朝鮮軍には鉄砲が無く、長年の平和に慣れて連戦連敗し、朝鮮国王は首都を漢城(ソウル)から平壌に移し、更に明との国境の義州まで落ち延び、明国に援軍を要請した。

 一方朝鮮水軍の李舜臣の活躍によって秀吉水軍は制海権を失い、また各地で朝鮮の義勇軍が蜂起し、秀吉軍は兵糧や弾薬が欠乏して苦しい戦いになってきた。

 その間、沢瀬甚五郎は山川港を薩摩藩が支配することになったことなどから博多に商売の拠点を移していたところで上巻は終わる。

 下巻では秀吉の命令で博多商人の代表として沢瀬甚五郎が平壌の小西行長に武器と食料を運ぶことになった。しかし釜山沖で僚船が朝鮮水軍によって沈められため、物資は届けられず対馬に逃れ、更にマニラに向かった。フィリピンはイスパニア(スペイン)が植民地としており、日本との貿易とキリスト教の布教を進めようとしているが、ポルトガルのイエスズ会との確執があるなど日本周辺の情勢は混沌とした情勢だった。

 朝鮮の秀吉軍は引き続き兵糧と弾薬の欠乏が続き、明国軍と朝鮮王国軍の攻勢により、平壌から漢城に撤退し、さらに釜山付近の順天城で小西行長、蔚山城で加藤清正などが支配するまで押し込まれていた。

 やがてマニラから長崎経由で博多に戻った沢瀬甚五郎は恩顧のある博多商人の嶋井宗室と共に釜山に食料を運ぶことになり、更に近くの亀浦城までその一部を運ぶことを依頼され、沢瀬甚五郎が運び入れることになった。しかしその途中降倭と呼ばれる朝鮮王国軍に寝返った日本の将兵に襲撃され捕虜になってしまう。.

 やがて秀吉は死去し、朝鮮出兵の日本軍は明国軍と講和を結び帰国することになった。しかし、朝鮮に留まっている秀吉軍は6万5千人居るが、海戦で多くの船が沈められ、日本に帰れるのは1万5千人と推定され、足軽や役夫などの5万人は置き去りにされ、明国軍に殺されるに違いなかった。

 その頃沢瀬甚五郎は朝鮮王国軍の降倭軍鉄砲隊の指揮を執るようになっており、小西行長が守る釜山近くの順天城を取り囲む朝鮮国軍に属していた。順天城には1万3千人ほどの城兵が居たが、船が少なく約5千人は帰国できずに取り残される様子が分かり、朝鮮王国軍の将軍に交渉して投降するよう呼びかけ、それに応じた1,500人ほどの命を救い荒廃した朝鮮国土の再生に尽力することになった。

それから8年後、断絶していた日朝両国の国交を回復するために朝鮮使節団が訪れ、その中に沢瀬甚五郎らしい高官が居たという終章で終わる。



 文中繰り返し述べられるのは、秀吉という独裁者の明国征服という野望のために日本ばかりでなく、朝鮮国、明国の農民、漁民などを含めた多数の一般民衆が戦いに駆り出されて、その多くが犠牲になり、それぞれの国土が荒れ果て、疲弊していった戦争の悲惨さである。

 薩摩の島津家に例をとれば、この遠征で1万5千人の軍役を課せられたが、その内武士は2千人で残り1万2千人は足軽と人夫であり島津家を支える農漁民だった。残った農民が戦地に赴いた者の農地を耕すことを命じられたが、しょせん無理な話で、農民の逃亡が相次ぎ、農地は荒廃するにまかされた。漁民も朝鮮で大半が犠牲になり島津領国は壊滅的な打撃を蒙っていた。

 この戦いは文禄・慶長の役といわれ、文禄元年(1592)から途中休戦を挟んで慶長3年(1598)まで7年間行われ、秀吉の死による日本軍の撤退で終結した。

この小説は「小説新潮」に5年間連載され、その後著者校正を4年間行い、刊行までに9年の歳月がかかったという力作である。

作者、飯嶋和一は前々回刊行した2008年「出星前夜」で大佛次郎賞、前回刊行した2015年「狗賓童子」で司馬遼太郎賞を受賞している。

 この2冊を含めて「神無き月十番目の夜」(1997年)、「黄金旋風」(2004年)も愛読した。この作家は今回の「星夜航行 上・下巻」を含めて9冊しか刊行していないが、読み応えのある作品が多い。


(この項終わり)


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