100分de名著
ショック・ドクトリン
「惨事を狙うのは誰か」を見て読んで
 

2023年06月28日(水)
          

  ショック・ドクトリン   

    ナオミ・クライン 著

       国際ジャーナリスト 堤 未果 講師

       NHKテキスト  2023年6月発行




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 NHK Eテレに、毎週月曜日午後10:25~10:50に「100分de名著」という番組がある。 1回25分で4回/月あり、合わせて100分で古今東西の名著の奥深さをその道に詳しいプレゼンターが分かり易く、楽しく解説するというもので、10年前の2011年からやっており、現在の司会者は伊集院光とNHKの安部みちこである。
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 戦争やクーデター、テロ攻撃や大規模な自然災害が起きた時に政府は民衆に何をしてくれるのだろうか?
 ジャーナリストのナオミ・クラインは.「政府にとって大惨事(ショック)は、民衆を思いのままに支配する政策(ドクトリン)を実行に移す、絶好のチャンスである」という。

 1989年に東西冷戦に終止符が打たれて以来、世界は民主化・自由化に向かうであろうと思われていたが、実態は内戦が頻発し、ジェノサイト(特定集団の組織的殺戮)や難民の大量発生が世界を不安定にして来た。

 シカゴ大学経済学部教授のミルトン・フリードマンは「資本主義と自由」(「1962年発行)の著書で、市場への政府介入は極力少ない方が良いという徹底した市場原理主義を発表し、.グローバル資本主義が助長する「民営化」「規制緩和」「社会保証(支出削減)]の三大ドクトリン(政策)を進めることを提唱した。

 この三大ドクトリンによって一部の企業だけが潤い、大多数の市民が搾取や差別、暴力の犠牲になっている.。この構造を批判するクラインは、2005年にハリケーン・カトリーナの被災地を取材した時に、奇妙な違和感を感じた。それは、地元共和党議員が州議会に群がるロビイストたちに向けて行った言葉だった。

 「これでニューオーリンズの低所得者用公営住宅がきれいさっぱり一掃できた。我々の力では到底無理だった。これぞ神の御業だ」
 それはまるで、災害が来るのを待っていたかのような言い草だった。同じ時期、新自由主義の父と呼ばれノーベル賞を受賞したミルトン・フリードマンは、「ハリケーンはニューオーリンズの殆どの学校、そして通学児童の家々を破壊し、今や児童生徒たちも各地に散りぢになってしまった。まさに悲劇というしかない。だが、これは教育システムを抜本的に改良するには絶好の機会でもある」

 公教育予算をカットするために、公立と私立の学校を競争させる制度を提唱していたフリードマンの提言には強い影響力があり、政府から多くの予算がつぎ込まれ、公設民営の公設民営のチャータースクールが増大し、123校あった公立学校は4校を残してすべて潰され、かわりにチャータースクールは7校から31校に跳ね上がり、組合所属の教職員4700名は解雇され、行き場のなくなった貧しい子供たちが路上に溢れた。

 災害から1年7か月後、まだ多くの被災者が避難所にいるにもかかわらず、復興よりも遥かに速いスピードでニューオーリンズの公教育解体と民営化は完了した。
 ハリケーンに襲われたショックで住民が思考停止している間に、普段なら絶対に反対されるような過激な政策を一気に入れてしまう。ただしその際には迅速に動くことが肝心だとフリードマンは強調していた。

 フリードマンの新自由主義は、当初政府介入による福祉国家を目指すケインズ主義に対抗する革命的思想としてとして登場したが、政府と企業の距離が近くなっていくというもう一つの特徴があった。多国籍企業が政府と密接に結びつくことで、まるで株主が経営陣を動かすように自分たちに都合の良い政策を次々に導入させて利益を拡大し、反対派を弾圧して黙らせるこのシステムを、ナオミ・クラインは「コーポラティズム」と表現している。そしてそれらの施策はシカゴ学派のシカゴ・ボーイズと呼ばれる実行部隊によって速やかに、作成されて行くのである。

 フリードマンを中心とするシカゴ学派による社会を造り変えたショック・ドクトリンをさらに強力かつ広範囲に進化させた歴史的通過点がある。それは1979年に米国FRBのヴォルカ―議長がインフレを抑えるため、金利の大幅な引き上げを発表し米国では多くの企業が倒産し、景気が一挙に失速し米英の国際銀行から変動金利で借金をしていた南米、アフリカ等の債務国は壊滅的ショックを受けた。

 クラインは「ショックドクトリン」の中で、世界経済がフリードマンの処方に従い、変動金利、価格統制の撤廃、輸入中心の経済などを採用すればするほど、経済システムは危機に陥りやすくなり、経済的崩壊も起きやすくなる。こうした状況にある時のみ、政府は、過激な助言を取り入れるのだと、フリードマンは考えていた。

 債務ショックで返済不能になり、にっちもさっちもいかなくなった第三世界が頼ったのがIMF(国際通貨基金)である。かってファシズムを台頭させた第二次世界大戦の反省から長期の融資を行う世界銀行と、経済危機に陥りそうな国を救済するために、補助金や融資を提供する国際機関として設立されたIMF。その目的は一見政府介入を許さないフリードマンの思想とは相反するように見える。しかし実際には加盟国が一票ずつ持っている国連総会とは違い世界銀行やIMFでは各国の出資金額で発言権が決まるのである。それによってウオール街の投資家や銀行家などが支配権を握れる構造になっていた。そしてこの二つの国際機関にはフリードマンの新自由主義を信奉する
人物が多くいた。

 1983年にIMFは救済する相手国に融資条件として民営化と自由貿易を抱き合わせた条件を発表した。危機に陥った国は通貨を安定させるために緊急支援を要望しており、民営化と自由貿易政策が経済的救済とワンセットになって提示されれば、其れを受け入れる以外に選択の余地はない。そのIMFの構造改革によってアジアの実体経済は壊滅的な被害を受け、韓国とインドネシアの失業率は年間で3倍に急上昇したという。

 また中国では1980年に鄭正平がフリードマンを中国に招待し、市場原理主義についての特別講演を行なわせた。それは重要なのは市場の自由であって、政治的自由は関係ないというのである。即ち経済を解放して私的所有と大量消費を促す一方で権力支配は維持し続けるという考え方である。それは国家の資産が売却されるに当たって、党幹部とその親族が最も有利な取引をして最大の利益を手に出来るということである。

それから3年後の1983年、鄧小平は中国市場を外国資本に開放し、労働者保護を削減する政策を実行する。同時に、40万人強の「人民武装警察」を創設した。
 この改革は当初、国民の支持を得たが80年代後半になると、国内労働者が猛烈に反発するようになる。フリードマン理論に沿って価格統制や雇用保障を廃止したために、物価が跳ね上がり、失業者が増え、格差がどんどん拡大してしまったからである。共産党幹部の腐敗や縁故主義に対する批判も高まって行った。

 1989年になると賃金低下と物価上昇、回顧と失業危機への不満が高まり、学生を中心とする民衆の抗議デモがエスカレートし、6月3日深夜から4日未明にかけて天安門広場のデモ隊に人民解放軍の戦車が突っ込んだ。
 多数の死傷者を出したこの「天安門事件」によって10億人が住む中國大陸全土に、「衝撃と恐怖」のショック状態が作り出され、鄭正平は「改革・開放」の経済的ショック療法を一気に推進していった。

 2001年9月。世界貿易センター9・11同時多発テロが発生した。これはある意味、フリードマン理論の決定的弱点である、規制緩和をし、民営化し、公的予算を削減すれば確かに効率化され、スピードが上がり、価格競争で料金が下がるという一定の効果があるが、災害や大きな事故など、、採算とは別のところで国家や国民を守らなければならない状況で役に立たなければ本末転倒である。、

 この時フリードマン理論の一つである「民営化」の影の部分に国内の注目と批判が一気に集まった。真っ先に取り上げられたのは空港セキュリテイの脆弱性である。テロリストは何故セキュリテイ・ゲートを難なく通り抜け飛行機に乗れたのか。チェックを担当していたのはレーガン政権下で民営化による大幅な人員削減の結果、低賃金で雇われた契約社員だった。他にもあらゆる民営化の弊害が一気に表面に噴出した。

 9・11というショックの下で導入されたもう一つのドクトリンは、当局による国民監視と言論統制の合法化だった。テロの翌月、アメリカで「愛国者法」」という新しい法律が緊急事態の名の下に、ほとんど何の議論も無くあっという間に可決された。 
 それによって国中に監視カメラが設置され、9・11以前は顧客の消費動向を分析するだけでも世論の抵抗にあっていた国民のあらゆる社会活動を記録した音声や映像を、当局がチェックすることが合法化された。

 ショック状態から正気に戻る前に、スピーディにドクトリンを入れてしまうのが、シカゴ学派の手法であれば、いったん立ち止まり、目の前の事だけでなく過去に遡り,考えることでシカゴ学派的ショック・ドクトリンに立ち向かうことが出来る。
 外部の民間業者が介入すれば、どうしても四半期単位で儲けが出る復興ビジネスを計画するが、彼らは地域の将来まで真剣には考えてくれない、短期的な改善策では一時的に収益は上がるけれども、それが停滞すると、新しい収益を求めて、去って行ってしまい、気が付いた時には、以前より悪化した日常をどう戻して行けばよいのか判らずに茫然自失の状態に陥ってしまう。

 東日本大震災後の日本でも企業ではなく協同組合が中心になって復興を進めた地域がある。船舶の九割が沈没あるいは破損し、家屋が全壊した石巻市十三浜では復興のために地場産業のわかめ養殖を再開する時、被害のなかった浜の組合員が単独での操業再開を申し出たが、漁協は一人だけ抜け駆けするのではなく、この浜で生きて行く魚師みんなで立ち直ろう、漁協はそのためにあるのだ。 と言って、
 普段は団体行動を好まない一匹狼の魚師たちが団結して「漁業生産組合浜人(はまんど)」を立ち上げ、それまでは養殖,茹で上げ、塩蔵の三行程だったものを加工から販売までの全工程を自分たちで行うことで、一次産業から六次産業に進化させ、インターネットを通した直販で都市部と繋がるなど創意工夫を凝らして、ブランド価値を高めることに成功した。
 住民自治と協業の精神で、ショックを逆手に取った素晴らしいモデルケースである。

 戦争、自然災害、食糧危機、コロナ等の病原菌災害、など我々の生活を脅かすショックを生み出す原因は今後ますます増加すると思われる。それらの困難の発生にj乗じてショックドクトリンは大きくなっていくことを知り、物事の本質を見極め落ち着いて行動することが今まで以上に求められる。



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(この項終わり)

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