甲信’09秋紀行 (2) 上高地   イバイチの
旅のつれづれ


上高地

 平成13年6月以来、8年ぶりの上高地である。秋のシルバーウイーク翌日の平成21年10月13日朝早く、沢渡からバスに乗り8時に大正池に着いた。雲ひとつ無い快晴だった。穂高には3日前の台風の時、新雪が降ったのだがすっかり溶けてしまっていた。雪が無いのは残念だったが、焼岳や穂高の山々は朝日を受けて輝いていた。

 大正池から上高地自然研究路を田代池に向かう。田代湿原の草紅葉のかなたに明神岳から前穂、奥穂、ジャンダルムへの稜線がくっきり見える。いつ見ても見飽きることの無い景観である。帝国ホテル近くの田代橋と穂高橋を渡り、梓川の左岸に出る。この穂高橋からの穂高連峰も蛇行する梓川を前景にしてその勇姿を見せ、ビューポイントの一つになっている。

 少し行くとウェストン碑がある。英国人牧師のウォルター・ウェストンは明治21年(1888)から7年間日本に滞在したが、その間に槍ヶ岳や穂高の山々に登り、飛騨山脈を日本アルプスとして世界に紹介した。それを顕彰して日本山岳会がウェストンのレリーフを作ったのである。毎年6月にはここでウェストン祭を開き、釜トンネルが出来る前の上高地に入るメインルートだった徳本(とくごう)峠越えハイキングなどの催しが行われている。

 自然研究路からやがて河童橋が見えてくるあたりの梓川の川原から振り返ると焼岳がきれいに見える。ここもビューポイントの一つになっている。人通りが急に増えてくると直ぐ河童橋に到着する。橋の上は混み合うので少し先の梓川が大きく蛇行している場所まで行き、穂高連峰を眺めながら一休みする。橋から少ししか離れていないのにあまり人が来ず、じっくりと景色を眺められる場所である。

 再び河童橋を渡り、梓川右岸の小梨平キャンプ場を通り、明神池に向かった。林間の整備された道を約1時間歩くと明神館の前に出る。その手前に穂高奥宮参道という大きな木製の案内表示がある。ここから左折して梓川を渡ると穂高神社・明神池に行ける。ミヤマカンボク(深山肝木)と記した札がぶら下がった赤い実が沢山なっている木が華やいだ彩を見せる。

 明神岳がよく見える明神橋を渡り、標識に従って歩くと穂高神社奥宮の手前に嘉門次小屋があり、名物の岩魚の塩焼きが食べられる。ここはウェストンの道案内を務め、名ガイドとして知られた上條嘉門次が開いた小屋で、以前(といっても50年以前、裏銀座から槍穂高を縦走して下りてきた時のことだが)立寄った時は山中にある手作りの薄暗い山小屋の風情だった記憶がある。しかし現在は普通の食堂に少し手を加えたような造りである。小屋の前には通路を隔てて嘉門次のレリーフが入った明神池と嘉門次のことを記した石碑が置かれていた。

 穂高神社は穂高見尊を祭神とした神社で安曇野市穂高町に本宮があるのだが、この上高地の明神池の畔には奥宮があり、更に奥穂高岳山頂には嶺宮として石の祠が鎮座している。明神池は奥宮の神域になっているとかで、拝観料250円が必要になる。池は大きい一之池と小さいが小島や岩が多く庭園の風情がある二之池に分かれている。明神岳の伏流水が湧き出しているとかで透き通った水が清浄な雰囲気を漂わせている。

 帰りは梓川を左手に眺めながら河童橋に戻る。途中紅葉が綺麗な場所や清流が流れる小川を眺めながらのんびりと下った。13時近く河童橋に着いた頃は穂高、焼岳とも山頂は雲に覆われてしまい、午前中の素晴らしい上天気はどこに行ってしまったのかと思うばかりだった。
 (以下、次回にします)

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