　　　　　　　　「独裁体制から民主主義へ」

　　　　　　　　　　ジーン・シャープ　著
　　　　　　　　　　　中身　真理　講師

　　　　　　　　　　　　　　　　　NHKテキスト　　２０２３年１月発行

*****************************************************************
　NHK　Ｅテレに、毎週月曜日午後10：25～10：50に「１００分de名著」という番組がある。１回２５分で４回/月あり、合わせて１００分で古今東西の名著の奥深さをその道に詳しいプレゼンターが分かり易く、楽しく解説するというもので、１０年前の２０１１年からやっており、現在の司会者は伊集院光とNHKの安部みちこである。

*****************************************************************

　２０２３年１月の「１００分de名著」は戦略的非暴力闘争を提唱し、世界各地の民主化運動に多大な影響を与えたといわれるジーン・シャープ（１９２８～2018）の権力に対抗する教科書といわれ「独裁体制は見かけほど強くない」というこの本は、ロシアの２０２２年に始まったウクライナ侵攻の衝撃による悲惨な現実と不条理をどう解決できるのか。

　１９８９年に東西冷戦に終止符が打たれて以来、世界は民主化・自由化に向かうであろうと思われていたが、実態は内戦が頻発し、ジェノサイト（特定集団の組織的殺戮）や難民の大量発生が世界を不安定にして来た。

　更に経済のグローバル化が新たな格差や差別を生み、近年は民主主義を標榜する国々でも排他的言動で、人びとを煽るポピュリスト政治家の台頭が目立ってきた。いつの間にか世界には強権的政治体制が増え、テロや紛争を軍事力で解決しようとする動きが暴力行使に拍車を掛けている。

　この様な状況を打破し、暴力によらず戦争や様々な抑圧・差別を解消していくにはどうすれば良いか、この難問に一つの道筋を具体的に示してくれたのが、ジーン・シャープの戦略的非暴力闘争論なのである。

　日本ではあまり知られていないが,バルト三国の独立回復やセルビアの独裁政権崩壊、エジプトのムバラク政権打倒をもたらした「アラブの春」など２０１０年代初頭にかけて世界に広く伝播した非暴力革命に多大な影響を与えている。　

　講師を務める「中身真理」（聖心女子大名誉教授）氏はシャープの非暴力論に注目したのは、リアリスティックな視点が見られ、非暴力論に軍事戦略の発想を取り入れていることだといっている。平和運動の大きな課題は、軍事や暴力との戦いを展開するとき、敵についてしっかり研究する必要があるが、第二次世界大戦後、日本の平和論は、軍事を腫れ物のように忌避してきた。平和勢力が理解を深めねばならない軍事を無視している状態が長く続いていた。

　暴力に対し、非暴力で対抗する場合にも、軍事のように戦略を練って周到に準備し、非暴力で戦うための知識やスキルを身につけておく必要があるのではないか、戦略も戦術も無い場当たり的な活動が、結果につながりにくいのは当然である。そして「非暴力でこそ勝算がある」と述べている。
　非暴力でも可能なのではなく、非暴力でなければ勝算は無いとシャープは言っている。
「暴力的な手段がどんなものであれ、明白なことが一つある。暴力的な方法に頼るのはまさに、抑圧者がほぼ常に優勢となるような闘いを選んでしまったということだ。独裁者は暴力を圧倒的なレベルで行使できる装置を備えている。民主化勢力は（ほぼ常に）かなわないのだ。」

　そして非暴力闘争は様々な戦術を駆使した「暴力なき戦争である」という。暴力的な闘争の手段や結果は相手を威嚇し傷つき、殺し、破壊するために用いられる。一方、非暴力闘争は暴力よりも、もっと複雑で多様な戦いである。暴力の代わりに心理的、社会的、経済的、政治的な武器で戦い、民衆や社会機関が参加する。
　重要なことは、非暴力による抵抗が、独裁政権にとって対処しにくい方法であるということで、民衆が「力」で歯向かってくるのであれば、より大きな「力」で、それを叩けば良い。
ところが非暴力闘争は独裁体制が政治的な力を維持するために必要なものを断ち切ってしまえば良い。問題はそれをどう実践するかだ。

　どのような行動が独裁体制の力の源を断つことにつながるのか、シャープは極めて具体的な行動を挙げ「非暴力行動１９８の方法」というリストにしている。

　シャープの戦略的非暴力闘争論はミロシェビッチ独裁政権や、ソ連からの独立を勝ち取ったバルト三国を始めとして、多くの国・地域の民主化闘争で活かされ、独裁体制からの解放を実現してきた。シャープはこの本を通して訴えたかったことを次の３点にまとめている。
　①独裁体制からの解放は可能である。
　②それを達成するには、非常に慎重な考えと戦略計画が求められる。
　③警戒心と努力、鍛錬された闘争、時には大きな犠牲も免れない。

　シャープの戦略的非暴力闘争論はまだそれほど知られていないうちは抵抗手段としてかなり有効だった。しかしバルト三国やセルビアでの成功で注目を集め、体制側に研究されてしまうと、その戦略が逆に利用されることも増えてきた。
　２００９年、選挙結果を巡る対立が続くイランで、治安部隊が抗議行動に参加しようとした女子学生を射殺し、その映像が世界中に拡散され、国内外から強い抗議の声が上がったが、政権崩壊にはならなかった。その一因はシャープの著作を研究していたイラン政府が、情報の規制・操作を強化したことにある。
　またロシアのプーチン政権によるメディア・コントロールもかなり徹底しシャープの非暴力論に則った反体制運動が広がり始めた時に、それを食い止める反革命組織　「NASH」を結成している。そのような状況下でシャープ残してくれた非暴力論を更に進化させる必要がある。

　一方、２０１１年に「なぜ市民的抵抗は機能するのか」という本がアメリカで刊行され大きな注目を集め、前年に出版された最も優れた政治学・国際関係論の書物として表彰された。
　この本は１９００年から２００６年までの間に、政府を打倒し（もしくは抑圧者から領土を解放した）抵抗運動の内、参加者が千人以上の事例３2０件について、その事例を徹底的に調査した結果、暴力的抵抗の勝率２６％に対して非暴力で闘ったケースでは５３％が成功を収めていることが判った。

　このことは軍事に偏ってそれまでの非暴力論をまともに扱ってこなかった研究者に強い衝撃を与えた。さらに２０世紀に起きた軍事革命の多くが抑圧的支配体制を生んでいたのに対し、非暴力闘争が民主主義体制を導いていることも明らかにした。これも「独裁体制から民主主義へ」で、シャープが繰り返し強調していたことである。

　「もし、人々が自らの自由のために何が必要かを把握出来れば苦痛は伴うが、いずれその自由をもたらす行動の流れを描き出すことが出来る。そうすれば、不断の努力の許に新しい民主主義的規律を構築し、その防御に備えることが出来る。このタイプの闘争で得られた自由は永続する。自由を守り、豊かなものにすることに打ち込む粘り強い人々によってそれは保持されていくのだ。」とシャープは「独裁体制から民主主義へ」を、このように締めくくっている。
　

top↑

（この項終わり）