おくのほそ道漫遊紀行(1)〜(3)の本を造る

 2019年 9月 1日 (日)
 昨年 (平成30年)は、 「おくのほそ道漫遊紀行(一)深川〜平泉」 という題の本を造ったが、今年はその続きとして「おくのほそ道漫遊紀行(二)尿前の関〜市振」を平成31年4月に10冊造った。

 そして更に「おくのほそ道漫遊紀行(三)越中路〜大垣」を令和元年10月までに各10冊造る予定で進めており、9月1日にそのうち3冊を完成させ、10月末までに残り6冊を完成させた。(写真は作成した「おくのほそ道漫遊紀行(三)越中路〜大垣」、漫遊紀行1巻から3巻までの本)

 本の大きさはA5サイズでページ数は(一)が208ページ、(二)が204ページだが、(三)は236ページになってしまった。これはおくのほそ道漫遊紀行は江戸深川から千住に出て、「行く春や 鳥啼き魚の 目は泪」という矢立初めの句から始まり、大垣での「蛤の ふたみにわかれ ゆく秋ぞ」という結びの句で終わるのだが、その後芭蕉の生まれ故郷である伊賀上野と芭蕉の墓がある義仲寺まで足を延ばしたので、その分だけページ数が増えてしまったのである。(写真は1巻から3巻の最初のページ)

 芭蕉は奥の細道の旅に出る一年半前に茨城県の鹿嶋市にある根本寺に、禅の師匠である仏頂禅師を訪ねて名月を眺めたことがあり、「鹿島詣」という紀行文を残している。この時曽良も同行している。根本寺は現存しており、芭蕉の句碑が置かれている。芭蕉は、この時鹿島神宮にも参詣しており、句碑も残されている。また帰路、潮来に立ち寄ったということで長勝寺という古刹にも芭蕉と曽良の句碑が残されている。

この紀行文も入れたかったのだが、ページ数が多くなりすぎるので、割愛した。小生のホームページ「イバイチの奥の細道漫遊紀行」には今回の「おくのほそ道漫遊紀行(一)〜(三)の元になった写真や文章が掲載されているが、「鹿島詣」についても関連資料として入れてあるので、興味のある方は閲覧していただきたい。
URLはhttp://www.ibaichi.com/okuno/index.htmlである。

 今回で「往時渺茫」、「幕末の水戸藩」、「おくのほそ道漫遊紀行(一)〜(三)までと五冊の書籍を造ったことになる。結構負担が大きいので、製本まで自分でやるのは止めて、来年は旅行した時の写真集などをオンデマンド印刷をしてくれる出版社を探して造りたいと思っている。
 
(写真をクリックすると大きくなります)

(この項終り)

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